プレゼンができなくて

プレゼンの資料が作れなくてプロットだけを案内した。
無念。
結局、議論の手がかりが見えないということ。
ある会議での提案なのだが、はい、こうやってやりました、すばらしかったですでは、何も前進しない。たまに、シンポジウムに行ってそういうのにあたると妙に損をした気持ちになる。そこに、考えたり、対立したり、了解できたりする要素が含まれていないことには、また、同時にそうしたものを提示したものでなければ、1億円のつぼです、畏れ入ったかで終了。
だから、悩むのであって、プレゼンの技法や表現で悩んでいるわけではない。
先日、ダルビッシュがワインドアップで投げて圧巻の負け投手。内海が3安打に抑え込んで、失投を2本打たれて完投負け。昨日、沢村が隅いち負け。勝つことだけに勝負やパフォーマンスがあるわけでもないことをよく見せてくれた。
もしドラ」でユーザを観客に設定することについての学生スポーツとしての違和感を書いていた人があったが、同感。提案資料についても同じことがいえ、自分自身について表現するのではなく、議論するテーマについて描くことが必要なのだ。
それで、苦しんでいる。もうちょっと苦しまないといけないな。
そうやっているところに、新たな仕事が舞い込んだ。自分では、あまり得意としていない女性向けの講座。さあ、どうしよう。