ジョブス夭折

自分でも驚いているくらいに動揺している。ジョブスが亡くなった。iPhoneの新型がマイナーチェンジだったことにむしろ驚き、iOS5も様子を見ようと思っていた矢先だけに、パーソナルコンピュータの創造主の夭折は衝撃的だった。
大学生のころ、アップル2eに出会った。今から思えばちょっとした収納箱くらいの大きさだったが、引きつけられた。林檎マークは、ビートルズ結成と同じ年に生まれたボクにも大きな魅力だった。マイコンショップの店頭にあったそれには、アドベンチャーゲームが動き、独特の濃い緑がアメリカの青年の部屋にある姿を想起させ、胸が高鳴った。
やがて、就職する頃、Macintoshが現れた。有名なオーディオ機器と似た名前をもったディスプレイ一体型のパソコンは、どこもかしこも麗しく、艶めかしく、尻尾をちょろっと生やしたデバイスに触るだけでも失禁しそうだった。
だが、わずかに64KBのメモリしかないその思考のビークルは、1KBあたり1万円もするもので、とてもボクの傍らに置くわけにはいかなかった。当時購入したギャラン2000GSRは中古で1万5000円。保険料を払うために親戚巡りをして同情を買って就職祝い金の上積みをねらっていたくらいだ。
ときどき、ショップの店頭で眺めている、実に、高嶺の花もいいところだった。
実際、ボクは憧れと現実の間に多くの乖離が存在する。道具類はたいていそうだ。一流どころをしっかりと装備することが、ほとんどない。一番投資してきたスキーだって、ロシニョールだの、ラングだのが全盛の頃、ブルーインパルスだとか、ヘルトを使っていた。それはそれでなかなか自慢くさくもあるのだが、苦渋の選択といってしまえば、それはそうなのだ。アップルへの思いは止まなかったが、仕方なく同じモトローラのCPUと3.5インチのFDDを積むFM77を買った。ボディカラーも白。少しだけ憧れの追随をした。
そのうちに仕事もパソコンで処理する時代がやってきた。東芝ダイナブックを出したときに、その名前は使っちゃいけないだろうと憤慨し、エプソンのノートを買った。DOSマシンを使うならと、徹底してテキストマシンとして使い切り、ほぼエディターだけで仕事をしていた。Macへの憧れが、ちょろいウインドウやシェルへの依存を拒んでいたわけだ。
仕方なくウインドウズのパソコンを買うことになったときには、チャンドラを選んだ。「2001年宇宙の旅」でHALを作ったという博士の名前をコードネームに持つノートパソコンだ。独特の設計は、なかなか興奮させられたが、その沸き上がる気持ちは、Macに寄せるものと少し違っていた。どう言えばいいのだろう。現実的なんだ。官能を伴わないとでもいうのか、マニアとか、エンスーな楽しみはあるのだが、愉悦ではない。使っていることに面白さはあるんだが、いつまでも触っていたいというわけではない。
どこかでボクとMacとの邂逅があるとは思えなかったとき、高校の同級会で仲間が中古で安いのがあると教えてくれた。偶々、手持ちにそれに見合ったものがある。iMacG4。古くスペックも十分ではない。しかし、ジョブスが手がけたMacである。ええいとばかりに買ってしまった。
使いやすいとか、わかりやすいとか、簡単とか、そういうことではなく、こういう考え方をもって作られていることがはっきりわかる道具というのはうれしい。何に使うかを考える前に、もっていたい道具というのはある。
約30年にしてようやく、ボクの机の上にMacがやってきた。オークビレッジの展示場にふとおかれたMac。そんなところに住んでみたいと思っていたけれど、うちも案外似合うじゃないかと悦に入っていた。
今どき、正直なところ、ブラウザさえあれば仕事になる。もうOSなんかで悩む必要はない。元々、MSワードも、エクセルもプライベートでは使うこともない。ただ、その道具がそこにあるだけで十分なんだ。若紫を愛でる光源氏の心境であった。
ついこの間、iPad2を買った。これからもボクはジョブスさんところの娘たちとお付き合いをしていこうと。隠居になられたけれど、また、ときどきに顔でも出してもらえばうれしいものですと。auでも使えるってんなら、Gショック携帯からの乗り換えもいいなとさえ思い、いよいよ越年の思いを遂げようと、そういう矢先でもあった。
この動揺は、きっと成人したての頃から今に至る自分のくらしの経過が重なっているからだろう。確かに、ときどきに憧れの形が変化していたとも思える。ようやく、その軌跡が交錯する時刻になっていたわけだ。
iPadの壁紙は、apple.comのジョブスにした。お姉さん以外の人物を壁紙にしたのは初めてだ。どういう喪の服し方があるんだろう。ボクらはジョブスのいない世界を見続ける。それはけっこうしんどく、長嶋のいない野球や馬場のいないプロレス、本田宗一郎のいないホンダ以上に、じわじわとボクらを見通しの立たない消え入りそうな焦燥感に向かわせるのだろう。
ともかく、合掌。天才は夭折する。
何を書いていいのかわからず、それでいて、何か書かずにいられなかった。