観光客向けなんてまっぴら

新潟県糸魚川市ジオパークの呼び名を最初に使い始め世界概念にまで高めた街である。その意味では、オリジナルというこだわり方があるのかなとも思えるが状況は少し違う。
北陸新幹線が金沢まで延伸される来年春に向けてえんせんではさまざまな反応があり、その多くが観光開発をして多くの人を呼び込みたいとする、いわば、交流人口の増大に向けた地域振興を行っている。そのせいか、食べたことのない食べ物や子ども騙しに近いおもちゃを組み合わせたニワカ特産、名産、名物が現れている。どうやら、ここ数年続いた地域グルメの発展系らしいのだが、雨後の筍のようににょきにょき出てくるゆるキャラ並みに、地域の文化的成り立ちと乖離していて気持ちが悪い。
糸魚川市は、まず、視点を地域の中に定めた。自分たちの中にある特徴的なものを整理して、自分たち自身が大切にしてきたり、生活に隣接したものを大切にしようと考えた。と書きながらも、糸魚川ブラック焼きそばなんかはそうでもないなと、、このテーマで書き始めたことを後悔している。
これなのだ、書こうと思ったのは。

糸魚川蕎麦屋に置かれたヒルツブ。どうやらアサツキの球根らしい。ちょっとした食べ物屋にはたいてい置いてあって、薬味や肴に食されている。ところが、どこにいっても、これが何かという表示がない。ということは、まったく当たり前のように生活に含まれている。何も宣伝されていなくても、訪れる人々はそこに土地のようすやくらしを感じて、その価値を認めている。
これが地域リソースである。そういうものを商品としていくところに力をかければいいのに、新しいものを作らないとひとは興味をもたないと、次々にさまざまなものを洗練させることなく更新し続けてきたのがこの社会の姿だろう。地場産のものの取り扱いがよくなってきたと思っていたが、東京スカイツリーにさくねん押し寄せた4000万人を超える人々の姿に愕然とした。こういう社会の空気のシンボルなのだろう。
小谷村の道の駅には土地のものが並ぶ。いいもの、好きなものもあればそうでないものもある。それでも、訪ねた人に土地の姿を示して味わってもらう。そういう場所に、僕は行きたい。
もう十年以上前になる。そばを売り物にしたある土地で、せんれんされたそばを食べさせるお店があって、おそばはうまいし、店の佇まいもよいのだが待合にCDで音楽が流されていた。店内には、音楽は流れていない。タバコを遠慮してくれ、携帯はやめてくれ、写真を撮影するのも勘弁して欲しいと書かれて、そばの味わいに集中できるようにということだ。静かなクラシックだったように記憶するが、まったく辟易した。土地の音や店の賑わいや調度が出す音に耳を寄せていればいいのにと、当時持っていたサイトに書いたら店主から抗議がきた。営業するとは大変なのですと書かれていたが、店で流す音楽でさえ客と意図がずれていることをあまり自覚されていない様子で残念に感じたことがある。何かに擦り寄ろうとして元々の価値を損ねているわけだ。さすがに、今はそんなこともなかろうと思うけれど。
「観光客向け」というのは結局誰の気持ちにも寄り添えない。そういうことを書きたかったが、いろんなことを思い出してぶれてしまった。