円周率

平成教育予備校@CXを見ていたら、円錐の展開図の問題が出ていた。どうということのない問題だが、大人は意外に解けない。そんな人に限って、学力云々をいう傾向を持っているが、それはそうと正解が気になった。
円錐の底の半径が15センチ。斜辺の長さが30センチとなっている。つまり、扇形に当たる部分の円周部分が、底の円周と一致するのは扇形の中心角が180度。ちょうど半分になる時だとわかる。
この答え合わせに、「円周の長さは、半径の2倍×3.14」と言ったのだ。まったく不正解も甚だしい。円周率ならわかるのだが、3.14は円周率ではない。円周率を3.14相当として扱うこともあるが、その逆はおかしい。こういう命題を考えてみよ。すぐわかる。「すべての3.14は円周率である」。ね。
学力低下論争のとき、場合によっては、円周率を3として適用してよろしいという旨の表現をとらえて、文部科学省が円周率を3に決めてしまったような言い方で抗議を繰り返した人が多くあった。3.14が3になるとこんなに誤差が出るといった人もあった。今頃、そうした人たちがかなり恥ずかしい思いをしているのかというとそうでもなくて、文部科学省の「反省」(正確には、大臣の思いつきめいたコメント)によって、むしろつけあがってさえいる。
円周率は円周率で、3.14でも大きな丸め込みによってそれで済ませておこうよ的な雰囲気に彩られた数字である。3.14でほとんど世間が納得していることを数学者はどうして憤らないのだろう。そんな曖昧な数字でいいのかと。
この問題をよく考えて欲しい。円周率が3であっても、仮に4であっても、3.1415であってもいっしょである。計算する必要はない。全円に対してどうなるかがわかれば、中心角が決まる。それでいいわけだ。それを数学と呼ぶ。そう思ってきた。数学は神の美学を知ることばであろうとボクは思っている。算術として懸命に取り組んできたみなさんには、3.14が「答え」に見えるらしい。神が与えた謎をそんな大雑把な数字で決着させることがおかしい。それなら、むしろ、プロ野球ファンにとって神の数字ですらある「3」の方がよほど潔い。