勝者
今朝の朝日新聞にフリーライターの永沢光雄が坂口安吾没後50年に寄せて「日本人よ、負けよ」と題して投稿している。
必須教養と思われていたがこの頃では語られることも少なくなった安吾のことはともかく、とまで書いてやっぱりふれたい。
「堕落論」を読んだのは高校生。人間の本性を善と見ているボクだが、だからこそ堕落にブンガク、つまり、人を見たいと思う心象がある。堕落したいというのは、シタイと同じくらい青少年の憧れではなかろうか。
そのくらいにしておいて、永沢はついに日本一になることなく消えていった近鉄バファローズのことにふれる。近鉄が最も日本一に接近した瞬間を描いた「江夏の21球」がドラマになり得たのも、じつは相手が西本監督であり、バファローズであったからで、羽田、平野、佐々木といったB級ヒーローが江夏に食いかかっていたからでもある。そうしたB級ヒーローのなかにいたのが吹石で、娘が高校野球のポスターで売り出し、中堅のかわいげの豊富な女優として活躍しているのも、またそうした風景に彩りがあるが、ここでは、けっこうくわしく書いたけど、これ以上ふれない。
さて、永沢が何を書いているのかというと、負け続けた近鉄が成仏していないため、以前として近鉄は未だに自らのなかで元気に活躍しつつ、ってことは負け続けているのだということなのである。勝ち負けだけで価値を判断してしまうフォローアー的なモノフォリックな人々が増えてしまったこの時代では近鉄は生き残れない。永沢は「勝ち組」「負け組」に耳障りを感じ、「底の浅さ」を指摘する。なかでも「すぐに勝者にすがりつく」という表現には感じ入る。
じつは、そんなシーンをたくさん見ているのだ。仕事の関係で大勢の子どもたちの集団といっしょに自然体験をしたことがある。どうもしまりのない集団なのだが、何かことあると異様なとも思えるほど、明確で屹立した盛り上がりを見せるのだ。かと思えば、一瞬にしてその空気をしぼませてやるせない退廃的な疲れを見せる。これは何なんだと考えたとき、「勝ちに乗じる」、ここで言えば、「勝ち(価値)にすがりつく」風景を見ているように思えたのだ。
ときどき、今の社会に足りないのはプロレスだと叫んでいる。勝った、負けた、うまくいった、いかなかった。そんな浅薄でわかりやすい勲章に目を向けて、戦いそのもの、活動そのものに思慮が深まらない。プロレスではあり得ない。少なくとも、先日、あろうことか力皇猛に負けてしまった三沢光晴が輝きを持ち続け、ファンの思いは、「三沢に勝った力皇」がその重さを力に変えられるのかどうかという憐憫にも似た場所に向かっているではないか。しかし、最近のモノフォニック化した議論では、これすらも三沢の終焉と脈絡するのだろう。笑止千万。
安吾は、「墜ちよ」と叫び、永沢は「日本人よ、負けよ」と書く。ボクは、「勝負とは勝ち負けではない」と叫んだ坂田明のことばを引用しよう。
参考文献:永沢光雄
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