ことばだけが鋭敏に

どうやら「いじめ」ということばだけで情況を緊張させる作用を持ち始めた。危険だ。全体の事情を把握する前に、「いじめ」のことばで圧倒的に加害被害の関係が暴力的に固定してしまう。問題は情況の改善であるのに、「いじめ」であると認定されるかどうかでその事実が重大であったか否かが判断される。
今までも「虐待」「セクハラ」などなどこうしたことばがたくさんあった。「公務員の不祥事」なんかは、「またしても」が振られるほどかもしれない。
病名をもらうことで情況を安定させてしまうことにもよく似ている。それは改善ではなく、始まりなのだが、残念ながら病気と違い処方箋が明確にならない。前述したように、加害被害の関係が決定するだけだ。いつ、わけもわからず、「いじめ」カードが切られて、加害者に仕立てられるかという不安が人間関係を稀薄にしていく。もっとも、今あるような「いじめ」の根源には、なかよくしなければならない、だれとでもなかよくできるという楽天的で脳天気で、あまりにも感情の機微を超越した「友情」「団結」「協力」といったことばからの圧力があるのだが。