鈴木ヒロミツさん

ちょっと遅くなったが、書いておかなくてはなるまい。
ミュージシャンとしての鈴木ヒロミツはよく知らない。しかし、毎週日曜日ビートルズの専門番組をやっていたDJ(この響きも懐かしい)としての鈴木ヒロミツがボクにとっての彼の姿になる。
当時、自分で作ったラジオや叔母が使っていた真空管ラジオをいじってはベリカードを集めていたボクは、やはり、当然の道筋ながらビートルズに到達した。日本海側は夜は、モスクワ放送や朝鮮半島の混信に悩まされ、ナイター中継などを必死で聞き取っていた。電波はその名の通り波らしく、揺れるように混信の音が変化する。のちのち、ジャマイカで微弱な電波を混信に妨害されながらロックンロールを聴いていたボブ・マーリーがその奇妙に変化した音からレゲを作ったと聞き、さもありなむと思ったものだ。夜は、深夜直前までそんな状況だったので、日曜日の日中のラジオは安心して聴ける数少ない時間だった。
その日曜日、「日曜はダメよ」という歴史的な投稿番組があり、確か、それに続いて鈴木ヒロミツビートルズ番組をやっていた。
小学生のボクは、ビートルズの楽曲のあかでもとても華やかで、明るく、親しみやすい響きのあるポールの曲がお好みだった。しかし、鈴木ヒロミツ氏はその風貌通りレノン贔屓であり、彼にビートルズとはレノンであるとさえ考えている言動が現れるごとに反発していた。しかし、年月を経て、ボクはまさに鈴木ヒロミツと同じことばを発している。レノンにこそ、ビートルズを立体的に浮かび上がらせるための陰翳があったのだ。
あの頃、わからなかった「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が今は、明暗にメリハリを持ちながらも茫漠な夢のような、それでいてどこかにいつでもピントが合ってしまうようなその風景をことばで紡ぐ意味を理解できるようになった。