何とか

うまく沸いてこなくって苦労していた原稿だが、書き出すと7000文字くらいになった。余計なところ5枚分を切って明日送付しよう。
昼間いいことばが出てきたのは昨日、あるインタビューでことばの刺激を受けたからだし、さっき読んだタブロイドで、文部科学省の役人が「体験あって学びなし」について、それを解消するのは「ことば」だなどと10年くらい前に自分が話していたことと同じようなことをよりわかりやすく話していて、何となく書き方が思いついた。
ことばとからだ。体験と止揚。介在することば。その様式は、実はずっと前から手に入れていたようにさえ思う。ボクだけに生じたことではない。多くの人がそのように感じながら語っていないだけだ。
奇妙な喩えだが、いわゆるエログを見ていると、ことばがからだの感覚を増幅している現場に出会う。初めに、いや、創にと書くか。創にロゴスありき。まさしく。
今日、ボクに少々対戦的な視線を向けていたあの人は、事実を先にもってくるのだろうと思う。事実を規定しているのはロゴスでロゴスの範囲でしかボクらは認識すらできないのだと言い返したいが、それとても憶測である。悪意に近いものを憶測するのは邪念である。慎みたいが、どうにも卑俗である。