海から来た泊町

ボクが住んでいる町は、江戸時代の初め、宿駅の機能を維持するため、海岸線に近い場所から現在の場所に移動してきた。相次ぐ高波の被害を避け、加賀百万石の面子を保つためである。
しかし、その移動の経緯がわからない。たかだが、数百年前のことでもあり、多くの被災者を得ているのに、元の泊町が一体どこにあったのか、そこはどんなところだったのか、民間伝承すらない。それ以前の、例えば、以仁王の息子であった北陸宮の伝承、境関所の長谷川奉行の話などしっかりと語られてるのに、である。意図的、作為的なものがあるのかもしれない。
本は、平成4年に、この町の町長であった中川擁一氏が自費出版したものだ。縁あってうちにも1冊ある。この本の詳細はもう少しくわしくいずれ書かねばならないのだが、なかでいくつか心にかかることがある。
笹川、木流川、寺川など町を流れる川がいくつかあるのだが、古地図には大清水川という名前が出てくる。これが今のどのあたりにあたるのか。笹川の河口も今よりもずいぶん東側に描かれている。
ふるいものの気配を今の姿に見付けてみたいと思っている。