嗤う伊右衛門

京極夏彦の本を読んだ最初は「姑獲鳥の夏」である。2000年国体の冬季会場で、ケビンに閉じこめられ業務にあたったときにできるだけ分厚い本をと思って持ち込んだ。主体とか、認識についてちょっとくどいほどに描かれながら、そもそも怪を生むのは人であると、わかりきった真実を物語に仕立てた。その後あまり読んでいなかったのは、姑獲鳥の夏の映画がさっぱりであったからだ。原田知世が出ているので期待したが、おいちょっと違うだろうという画像であった。闇が潜むのは人の心である。ゆえに映画もまた人の心の風景に立ち至らねば原作の空気を再現できない。で、それきりとなった。
先週、あまり期待しない講演会があったもので、その慰みに古本屋で購入。そろそろ、意地を張るのはやめにしようと思ってみた。
そこで、「嗤う伊右衛門」、傑作である。超心霊的な現象など実はどこにもない。すべて人の心が生み出した人の所業である。巧みにこのあまりに有名な怪談を描き切っている。映画も見たくなったが、また、長い京極夏彦との空白時間を味わうのは止めにしたいので、さて、どうしようかと悩んでいる。
ここ数日奇妙な夢を見ているのは、この本のことばに絡め取られているからだろう。「リング」ではないが、ことばにはそれだけの力がある。近頃流行の携帯小説を見ると、文字である。筋である。だが、今、そんなものが若い人に受けているのだという。単純で素直でわかりやすいモノフォニックな人々が増えている。

嗤う伊右衛門 (中公文庫)

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嗤う伊右衛門 (角川文庫)

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嗤う伊右衛門 [DVD]

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