クマ襲撃

クマの事件につられていろいろなところでたくさんのコメントが出ている。
クマにあったらこうしろああしろなどと言うわけだが、無理っ!とにかく逃げる気にしかならなかった。滅多に襲わない、基本人から逃げるなど、クマが原則を守る保証がどこにある。犬だって人をかむわけだから。尤も、それはボクのような犬嫌いの言い分か。そういう勝手な言い方はまああるにせよ、朝日新聞天声人語はひどすぎた。

きょうが命日の宮沢賢治に「なめとこ山の熊」という物語がある。熊撃ちと熊。殺し殺されるものの交感を描いて切ない。「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ」。熊撃ちの声は、毎年、多くのクマをやむなく捕殺する今の時代に重なって聞こえる(朝日新聞平成21年9月21日朝刊)

これ、全く読み取りがおかしいでしょ、熊撃ちの声は山を生業とし、山に暮らすものの言葉。そこには命を巡る自然の摂理への問いかけが含まれている。この事件では、殺したくて殺したのではないが、やむを得ず程度の人間社会の摩擦であって、根源的な受け入れ、なおかつ、ある階層では決して相容れないものの構造が見えてくる。
山の神とする熊を撃つという仕事に何の接近法も持っていないらしい。熊撃ちは駆除などしない。