夕刊廃止

地元の新聞社が夕刊廃止を宣言した。今年中で終了だそうである。
県内25万部発行の地元大新聞社だが、記事は地元の話題で満載で公器として、広報の役割くらいは果たしているのだろうが、広く議論をおこすには少し物足りないこともある新聞。それでも、そうした地域の話題、ニュース、だれそれがでているといった事柄にこと関心を寄せている向きには全く過不足ないだろうと思われる新聞だが、夕刊は2万部ちょっとになっていたそうである。
小学生の頃、この夕刊配りのアルバイトをしている子どもが結構いた。今では高校生させアルバイトを制限される時代だが、自転車でかっとぶ夕刊少年がいたんだ。折り込みも自分でやるので、ちょっとだけ手伝ったこともある。仕事自体に興味があった。アルバイトを禁止しながら、就業体験、インターンシップを学校の学習として組み込まなくてはならなくなったほどに、人の働く姿や働くことへの尊厳が失われつつあるのかと思う。
同じように子どもの頃、宿題として「家の手伝い」というのが出たことがある。見かけは随分格好いいのだが、そんなものは元々その子自身の役割、果たすべき責任の中に組み込まれているのであって、宿題だから果たすというのはいわばレトリックの範囲だったように思う。ところが、最近はこれが真面目にそのようになっていると聞くと、どうしたものかと思う。大学受験の前の日、隣家の屋根雪が我が家を直撃。トイレの屋根が崩壊。それでも勉強し続けるボクに父は激怒したものだ。
夕刊を廃止した新聞社は、インターネットでの配信に力を入れるという。この新聞社、見事に朝刊の紙面、夕刊の紙面分の記事しか載せない。号外さえも、町での配布よりもインターネットの配信が遅いことがある。自分のキャッシュの関係かと疑ったことさえあった。携帯サイトでもそのような有様で、インターネットでも記事が読めます、と紙面に書いてあって全くその通りとは畏れ入っていたので、これからどう刷新していくのか楽しみである。
多くの議論は全国紙の大新聞に任せてしまうことも考えられるが、地方主権とか何とか言っている時代に、一番体質を変えなくてはならないのは、地方議会と地方新聞であると、ボクは強く思っている。