消費税10パーセント

菅総理がこれを明言したことは、消費税を10パーセントにするしないに関わらず民主主義の手続きとして全く当然のことだと思う。白紙委任をお願いするような楽観論では、もはや、政治というか、国が立ち行かないということを多くの人々は知っている。
散々ばらまきをやってきた自民党民主党の政策に「バラマキ」と批判しているのはおもしろい。バラマキを巧みに操ることによって、国民を「物乞い」にしてしまったのは、旧政権だろう。
地域で実施していたイベントが縮小することになった。なぜか。訳は簡単である。元タレントの白い服の女性に切られた事業費でまかなっていたからである。そうなると、えー、なんでーとなる。テレビでおじさんたちが困り果てて叱られ追い詰められているのに快哉を叫んでいたのに。そんなものなのだ。偉そうにしている人が困っているのを、まるで下克上のように楽しんでいたわけである。
2番じゃいけないんですか、だっけ。あの発言も、すぐに切り返せない方がなさけない。最初から準優勝を狙う高校野球がありますか?と、浅田真央は銀メダルを目指していたんですか?と、クラリオンガールの次点の人を国民は覚えていますか?と、言い返してやればいいのに。
些末の部分に現れてくる表情に反応するのではなく、本当に政策論議をすべきだと思えるのはそんなときだ。
今朝の朝日新聞の投稿に、タレントが政治家としてどうかと問いかける18才の子の投稿が掲載されていた。そもそも、「政治家」ということばがおかしい。政治の主体は国民である。国民の代表として議会に参加しているのが議員であって、彼らが政治をやっているわけではない。
来年から実施される学習指導要領で、社会科のところに、公民的資質の育成なんて書いてあるけれど、公民的資質というのは主権者としての自覚と役割をはっきりと意識した大人になれってことだとすれば、この18才の投稿は、ずっとこの国が抱えてきた「物乞い」、つまり、何をしてくれるのかという期待から少しも外れていない。ぶれていない。
実は、いわゆる「政治家」の変容について行けないのは国民ではないのかと、何だかそう言う気持ちになってしまった。君子は豹変するのだ。