くまたくんではなかった

先日発見したクマが、やはり射殺されていた。
くまたくんではなく、くま子で2才の女の子であったそうだ。
親グマがまだ周囲をうろついているとの情報もあり、駆除はやむを得ない選択だろうし、妥当だと思える。
いつだったか、報道ステーションで古舘が「山沿いのみなさんは気をつけてください」などと呑気をかましていたが、そういう話ではない。生活圏に入り込んでいるわけだ。かわいそうという論理の前に、まず、クマの現状がどうなのかちゃんと調査がなされているのかどうか、そういう議論を始めないといけないのだが、何年経っても、何回繰り返しても、えさ不足、里山がどうのこうのと繰り返すばかりで、すっかり変わってしまった自然と人のくらしの構造についての言及と、それに応じた対策がなされない。
かつてどうやって共生がなされていたのか。クマとはそもそもどんな生態をもっているのかについて、あまりにもボクらは無知である。
クマに遭遇したら目を合わせないように後ずさりして逃げるなどという信じられない対策*1をメディアは繰り返して報道し、ヒグマの映像を流して注意喚起している。目の前にいるものをどうするのか、どう扱うのかについて逃げまくっているのは社会的な怠慢であると言っていいだろう。
ドングリを空から巻くなどという愚行は全く論外。里山の衰退のせいにするのも論外。炭焼きなどおよそ産業にはならない。バイオマスにでも政策転換すれば別だが、ゴミから生まれた再生燃料さえも立ち行かずに放置している市民意識が根底から変わるようには思えない。

*1:後ずさりしている間にクマと目があったら、人類史上最も高速で走る人間よりも普通に速く走る動物を、反転しながらどう振り切れるのだろう。ジダンのルーレットがいかに早くても無理である。