ライトアップはやめようね

ラジオで冬の電力不足について話題にしていた。視聴者のご意見に、せっせと節電したいたんですが、効果はあったのでしょうかというものがあった。我慢だけさせられたけれど大した危機もなかったじゃないかということらしい。
停電が続けばなんだどうしたと大騒ぎになり、何事もなければ危機感が薄れる。そんなものなんだろうが、では、問題がなければどんどん使うという野放図な生活のありようをどうにかしようという問題意識のないものなのか。
こういう傾向はいつから現れて、何時の間に多数派になったのだろう。教育にも何か問題がなかったかと考え込んでいる。
こういう事態になったら、当然、クリスマスのイルミネーションとか、ライトアップとか、どう考えても優先度の低いものが切り取られて行くはずなのに、元気とか、勇気とか、賑わいとか、明るさとか、説得力はないのに支持だけ大きな気分に左右されて、根拠の乏しいままに、そこら中明るくしてしまうんだろう。挙句、LEDなのでエコとか、わけのわからない説明が付いて回る。
嫌だなあ、冬のライトアップは一番嫌いだ。小さな光に、青黒い闇の輝きに心を寄せられる楽しみは冬だけのものだ。それを知らない連中がただただ作り出しただけの光を求める。
激しい光は、沸き立ち興奮した心と同じように小さなものを見失ってしまうんだ。同時に、今求められているのは、小さなものを力を大きな仕組みに変える仕事。それを絆というのに、訳わからないことに加担させられる理由にされるのは、どうにも我慢ならない。