泊・横浜事件

治安維持法下最大の思想弾圧事件、横浜事件は、でっちあげの事件で多くの人が拷問を受け、獄中死4人に至った事件として知られている。終戦後、治安維持法が廃止になる直前に有罪判決を受けた人々が度重なる再審請求の果て、四半世紀後に言い渡されたのは、免訴という判決だったこともそう昔ではない記憶に残る。
横浜というのは、横浜特高が事件の捏造と取り調べを行ったためで、いくつもの事件を総称してそう呼んでいる。この事件のきっかけになったのは、国際社会学者、細川嘉六が「改造」に掲載した論文であり、その細川嘉六が帰郷し、編集者らを招いて行った宴会が、当時非合法化されていた共産党再建の謀議とされた事件である。地名をとって。、泊事件と呼ばれている。
今日、その細川嘉六について調べている金沢敏子さんの講演を聞いた。綿密な取材で、この事件についてここまでまとまった話を聞いたのは初めてだった。もうこの事件の当事者は鬼籍に入り、語り伝える人も少なくなっている。僕も少しは知っているつもりでいたのだが、何も知らないと思えるほどだった。
細川嘉六は共産党の国会議員だったこともあって、保守王国と言われる土地にあって距離感をもたれることの要因になっているようにも思える。それを意識してのことだろう。金沢さんは、こんな言い方をした。
この事件は、特殊な人々に対する弾圧ではない。一般市民、住民にも起こりうることで、実際、当時はそうだった。根拠のない傲慢と虚勢に対しての警句。権力に屈しない民主主義の人。歴史の中で忘れられようとしている泊・横浜事件を端緒の地から記憶し、次の世代に伝えていってもらいたい。
いろいろなことを想起して涙が溢れた。
自分の中に息づいている権威からの圧力の抵抗と市民民主主義への意志がそうした先人から受け継がれてきたものではないかという思いが急に湧き上がってきた。権力に阿ることを最も嫌い、議論もなく当然のように押し付けられたり、批判もなく受け入れられたりする価値に、常に反撃を試みるのは、土地が生んだ風土の思想であったか。
そして、今、僕らの社会はどうなのだろう。青空だけを目指すような社会に、高らかにマーチを鳴らしながら行進しているのではないのか。
歴史を学ぶ、歴史に学ぶのは、社会の基を見直す営みだ。僕ももっともっと勉強しよう。