総愚政治

午前中のテレビは道路特定財源のことばかりだった。こういうことはとても大切なことだと思っている。政策的な議論が進んでいく点が、教育との違いだろう。教育の場合には、思想的なところに進んでいくのなら、まあ、あるとしても、多くの場合には、感情的な議論で政策論争にはならない。「こういうもんだろう」といったことばのやりとりに終始する。
じゃあ、特定財源とか、一般財源とか言うもんだから政策的なことばのやりとりに見えているんだが、本当にそう捉えられているのかは、境域基本法をめぐる議論に比してやけに市民レベルのトーンの低さが感じられる。教育という行政サービスを経由していない人はいないが、自分が立っている道路を一体誰がどうやってお金を出して作っているかはよく知らない。桃李ものいわざれども、の喩えのように道路なんて勝手にできるもので、その点、何かの意志を明確に働かせないとできてこない教育施設とは違うのかも知れないな。もっとも、教育施設は意志が見えるが、教育はその働きをなかなかつかむことができないもので、自然、それをめぐる議論も曖昧な教室の風景の感触から逃れられないきらいが見られる。
ところで、今回の方針で、道路特定財源のうち、道路に使って余ったものは一般財源に回すことにするんだとか言っているが、それは実に奇妙なことだ。特定財源として徴収しているからには、暫定増税までしているのだからしっかりと道路に使うべきこと。
石原の息子なんかは、もう道路は要らないよう言い方をするが、細切れに作られた高速道路を機能させるには貫通するよりほかになく、そうした国土開発のどこまでを行っていくのか明確な政策決定ができない官に責任があるはずだし、また、余るくらいなら減税すべき筋合いであることは中学生でもほぼ理解できるだろう。
節操なく税金をかき集めるようなやり方と、議席を増やしていこうとするやり方にどこか共通点があって、曖昧で節操のない政策遂行がどうやら安部のやり方らしい。いや、教育をめぐる議論と同じだが、感情を動かす方に舵を取る、そんなレベルの意志しか見えない。衆愚政治ですらなく、「総愚政治」とでも呼んでやるか。