昨日、ある学校のブログの非公開の話が出て

近所の学校でブログをやっているところがどのくらいあるのか、検索で調べてみた。いくつかの組み合わせを考えて検索すると、なるほど、少ない(笑)更新や成り立ちがブログ風になっているところは少なくないのだが、実際にブログを公開しながら運用しているところはそう多くない。
ある学校の例では、ウェブサイトとブログの性格を分けている。
ウェブサイトは基本的に固定情報として、これまで学校から提供されてきたプリントで配られる情報やら、教育計画、出版物など公式の公開文書やらを配信している。学校の沿革なども、その当時の画像などを含んで、今後もそのまま使っていく情報としてアーカイブ的に扱われている。これは、ちょっと古い概念になるが、ストックだという。
一方、ブログの方は、これまでの文書では表現できなかったもの、作成者に言わせると「空気」を描いていくものとしてあり、お知らせでも主張でもなく、それは空気に表情を与えるための仕種なのだという。確かに読んでみると、学校にありがちな、「べき論」、「たい論」がない。普通に教師が感じていることを子どもと共感する形で描いている。描かれた日常は当然部分でしかなかろうが、保護者や家族、地域のみなさんにもそう悪い気はすまいと思われ文章が多い。いつだったか、新聞にも掲載されていて、そんなことを管理者が話していた。チェックは校長自らが読み、修正しているらしい。
ウェブサイトの特性とブログの優位性をうまく生かしたものとしてこの考え方は注目しておいていいのだろうと思う。
ただ、どうなんだろ。先生たちもみんなわかっているのかな。ブログを見ると、学年の偏りがある。これを保護者がどう思うか。更新が少ないところをあまり気持ちよくないと思う人もあるだろう。それでも十分に取り組んでいる方なのだが、どうしてもよくやっている方をレギュラーに感じてしまう。
「やらなくてはならないのなら、やりますが」と校長に話している先生の姿が見えそうである。