総合型地域スポーツクラブは田舎で生き残れるのか

長男の様子を見に埼玉に行ったのだが、所沢で総合型地域スポーツクラブにかかわっているらしい。
会いに行ったが、土曜日も、日曜日もその関係で出かけていく。忙しい忙しいとは聞いていたのだが、なるほど充実しているようだ。サークル活動と話していたが、何のことはない、総合型地域スポーツクラブだった。スポーツマネジメントの勉強をしているので、生の体験を得られるクラブの活動は実におもしろいと思う。
総合型地域スポーツクラブは、もう10年にもなるか、確かな記憶もないのだが、単一のスポーツだけでなく、地域の人々が集まってワンストップでいろいろな種目を日常的に楽しめる地域スポーツクラブを目指して文部科学省が積極的に進めている施策のひとつである。この施策の財源のひとつがトトで、クラブに助成金を渡していた。今は財源が乏しくなったのだが、Jリーグ百年構想などともリンクして、ヨーロッパ型のクラブが日本各地に生まれる期待感があった。
日本では、例えば、読売ジャイアンツプロ野球チームなのだが、ヨーロッパではACミランをよい例としてサッカークラブとして有名であってもさまざまなスポーツチームや生涯学習のスポーツジムをもっているクラブは少なくない。いや、むしろ、単一スポーツが例外的なのだ。
ある外国人と話していたら、その国の人は「スポーツをしている」と表現するのに、日本の人は「野球をやっている」と表現するという。なるほど、日本では学校体育のスポーツでさえ種目間の交流は少なく、他種目を楽しみ、それぞれにある程度の実力をもつようなアスリートはなかなかいない。陸上競技デカスロンがヨーロッパでは大変人気があり、そのチャンピオンは最もリスペクトされる存在だということや、スキーノルディック複合のチャンピオンを「キング・オブ・スキー」と呼ぶのも、どこかに特化されたものではなく、総合的な力こそ真のスポーツマン、アスリートであるとする考え方を一般的な背景としてもっているのだろう。小さいうちから単一スポーツで体を酷使することの弊害なども指摘されたりして、日本でも本格的なクラブを、という方向性がはっきりと打ち出されたのが、ちょうど、学校週5日制の完全実施やNPO法の成立などもリンクして一気に沸き立った頃だ。
今では、アルビレックス新潟がサッカー、バスケット、野球、スキー、チアリーディングなどを傘下に持ち、Jリーグのクラブでは当たり前のようにほかの種目も取り入れられて、主催ゲームなどもあるなかで、まだまだなかなか取り組みの現状は進んでおらず、そのサッカーこそジュニア、ユースと選別的なアスリートの養成を何とかしなくてはという問題が指摘されている。一方、総合型地域スポーツクラブは次々と設立され、ボクの町にも一応あるらしいし、また、富山県などは各市町村すべてにあるらしい。
息子のところは、それなりの年会費を取って、週末を中心にいろいろな活動をしているらしい。運営の中心は大学生で、そのことを専門に勉強している連中ということもあり、なかなかうまくやっているようだ。日曜日は、大学のアメリカンフットボール場を使って、ラグビーに対するタグラグビーのような、フラッグフットボールをやっていた。タックルのないアメフットである。これがけっこうたくさんのチームが集まってわいわい楽しそうにやっていた。息子がかかわるチームは初勝利を上げたと言うことで、息子の周りにも小さい子が集まってわいわいにぎやかにやっている。息子もいい表情をしているので、親としてほっとしたところで、さらに子どもたちの親御さんにご挨拶されたりすると、なんだかいよいよちゃんとやっているんだなあと感じ入ってしまった。親ばかである。
前の晩、トンカツ屋で総合型地域スポーツクラブの課題について話していた。
これくらいの都会ならば、費用負担をしてそのクラブに参加し、そして、それなりの活動ができればその対価も納得してもらって継続的な活動を続け、さらに安定したクラブ運営を維持できる。しかし、例えば、ボクが住んでいる町ではどうか。例えば、町の体育館、地区の施設を使うために金銭的な負担が必要だとは誰も思っていない。講師の謝金はボランティアか、町が用意してきたり、どこかから出てくるものと思っているし、例えば、各地区にある町所有の体育施設も管理運営を地区に委託する形で運営させて、ほかの地区のものが利用することへの障壁になっている。簡単に言うと、受益者負担の原則は理解されず、同時に、体育施設の流動性が低いことによる非効率の面が出ている。ここで仮に年会費15000円で総合型地域スポーツクラブですよと言ったところで、とても通用しない。一方会員制のプールやお風呂などのある施設はそれなりに繁盛しており、そうしたものが導入される段階の考え方を引きずったまま整理できないでいる。
こういうものをどう整理し、うまく継続可能な組織にしていけるのか。そんなことが課題だと、とてもトンカツ食いながらの話題ではない話をしていた。
ちょっと冒険だが、プランはある。
体育施設は十分にある。ビーチボールという競技を生んだ町でもあり、もともと馬鬣クラブという有志が作るクラブがさまざまな文化的体育的なマネジメントをやっていた町でもある。すべてのアイデアと組織はすでに大正10年にあったのだ。それを範にし、その意志を受け継げばいい。
馬鬣クラブは、大正10年に体育やその他の文化活動を通した人間形成を目指すとして生まれ、泊町野球大会、隣接する新潟県西部に声をかけ、両越学童陸上競技大会、勤皇学者加藤謙二郎の遺徳をたたえる活動、マラソン大会、白馬岳登山、立山登山、美術展、山岳展、スキー大会、禅の会などを開催。昭和17年には馬鬣山のふもとの通称饅頭山に八紘舎を道場として建設。*1南部忠平や織田幹雄をしばしば招き、陸上大会を開いたりした。南部忠平はその縁である時期馬鬣クラブの会長をした祖父に香典を寄せ、その香典をもとに、町民体育大会の地区別対抗リレーの勝者に祖父の名を冠したカップを与えることになったとも聞く。もう、知っている人は少なかろう。*2今、この町の体育協会が行っている多くの活動は、もともと馬鬣クラブが創設したものなのだ。
しかし、その思想を継ぐことはできても時代が違う。町の旦那衆の酔狂で維持できるものではない。
スポーツ、文化、自然活動などの一部を町から委託を受けて運用している公社やプール施設を運用する会社、体育協会などの出資によりNPOを設立し、そのNPOの活動としてワンストップのアクセスが可能な組織体を形成する方法がある。持ち株会社のような発想だ。そのNPOの仕事は事務的な調整もさることながら、全体イメージの統一や、子どもから高齢者までのバランスのとれたコンテンツの形成、イベント運営などのノウハウ提供など、活動全体のマネジメントを行う。そんなイメージである。
現実に、どれほどの人がそうした活動に参加しているかを勘定した記録はない。それらに投資されている金額と、コストをちゃんと計算すると意外なことに、息子が関わっている都市型の総合型地域スポーツクラブ並みの運用が可能になるように思えてならない。むろん、人件費の面で、派遣、出向の形で町の財政的関与は必要だが、その気になれば計算は可能だし、規模が小さい分だけあっという間に展開できるように考えているが、さあ、どうなのだろうか。
スポーツ店の店先がスポーツサロンになったり、町のシャッター街の空き店舗がクラブハウスになったり、そこらの空き地が照明付きのフットサルやペタンクのコートに化けたり、ゲーム後の一杯をスポーツバーで、帰りは、スポーツクラブの巡回バスでなんていう光景もわりに容易に想像できるのだが、甘いのかな。財源はNPOに補助したり、委託料を出すものが案外たくさんある。そんなものでつなぐだけでも当初の活動はとりあえず可能だ。
正直、ボクらがいつもやっている野外活動やそば打ちなんかでも、規模とやり方次第では十分に数百万円の補助金を得られる。そこから、講師や指導員の謝金も支払えるので、当面は足だけは出さずに済むようにも思うが、どんなものだろう。そのことで、会費の方はできるだけお試し価格やストックに回すこともできる。
もっとも、現状で総合型地域スポーツクラブがどうなっているのか、今のところ、そっちの方がよくわかっていない。また、ボクには財務のセンスがないので、アイデアだけだな。必要なら町で支援条例を作ってしまうことも可能で、そっちはむしろ得意か。
息子のおかげで、こうやって考える機会をもらった。
お得な講習、教室ですがる時代は終わるはずだ。必要があれば、ノバでもすがる。

*1:その名の通り、八角形の建物で、小学生の頃偶然この残骸を発見したボクは、何かの秘密基地と勘違いし、その存在を黙秘した。あとから聞けば、建設には祖父がかかわり、また、父は祖父の言いつけでよくそこで留守居と称して浮世離れしたそうである

*2:最初の優勝チームは山崎である