2番目のロマン

動的平衡」の概念を提唱する福岡伸一朝日新聞紙上で「夏の基礎講座」と題して、大衆文化担当記者が少々難しい科学の知見をわかりやすく示そうという姑息な企画の1時間目「生命」としてインタビュー記事が掲載されている。
動的平衡」という、生き物は移ろいながらその形態を維持していくのだと乱暴に言えばそのような考え方は、科学としては新鮮だったけれども、生命と言うことにおいてボク自身に最も身近な浄土真宗がそのような世界をとっくの昔に示していた分だけやけに身近に感じるもので、それゆえ、一気に知れ渡りもした。
日本代表監督を務めた岡田武史が「ばらばらに動き回りながらも秩序を保つ」サッカーという組織スポーツを表すにはかっこうの考え方だとして接近したりもして、急に知られるようにもなった。もっとも、この本を読むまでにそんなことにも気付かなかったのかと笑えたりもするが、システマティックなサッカーをどうしても要素に還元して、要素を吟味し積み上げることによってちゃんとした動きが出来るのだと信じる人は少なくないため、いよいよ「動的平衡」はかえって信頼性を高めている。
所詮個別の要素を徹底的に追究したところで、全体を把握することなどできない。カゲロウの幼虫のエラの数がいくつあるのかなどよく知らないが、ボクはエルモンヒラタカゲロウを見分けるし、そのフライを作り、同様にそういうことを知っているのか知らないのかわかっているのかわからないのか、ヤマメを釣ってみたりもできている。
動的平衡」という考え方には、十分な賛意をもっている。
インタビューは、いかにも朝日新聞らしく、知性とかを大衆的にわかりやすく絵解きしようという気配が漂っている。それこそ、知性の権威化であると、なかなかこの大新聞は気付かない。インタビューの中にこのような一節。ここに噛みつきたい。
事業仕分けの時にレンホーが「2位じゃだめなのか」と発言し、多くの科学者に反発を受けたことに関連して。

私はあの発言を支持します。1等賞より2等賞のほうが価値があるからです。2等賞は「負けて悔しい」「じゃあこれからどうするか」といろいろなことを学ぶことができる。

といい、直後に、南極点到達を競ったアムンゼンとスコットを引き合いに出し、

スコットにロマンを感じます。スコットがいなければアムンゼンの栄光もなかったのですからね。

と続く。
本当かな。本当に、福岡伸一はそんなことを言ったのかな。「2等賞の方が価値がある」などと言うとは思えない。ちょっとだけそんな表現があったとしても、そのように書いたのはきっと記者の方だろう。1等賞を目指して結果的に2等賞になったけれども1等賞と同じ価値をもっているという言い方は成立する。が、2等賞の方が、悔しかったり、今後につながるから価値があるというのは、間違いなく1等賞に対する侮蔑でもあり、その勝者によって2等賞になった者への不要な同情である。こんなこと言うわけがないと思う。
「2位じゃだめなのか」の発言については、すぐに「最初から2位を目指すバカはいません」と返すべきだったというのがボクの考え方で、それゆえ、太田幸司も美しかったし、あんまり好きじゃないけれど浅田真央も国民的な支持を受けている。2位狙いにいくことをもって「ロマン」などと呼ぶのは、少なくともアスリートに対しては全くナンセンスであり、1等賞を取ってしまえば、悔しさもこれからの展望もないとでもいいたげな全く朝日新聞的な戦後民主主義である。競うのが嫌なら1等賞を目指さないのなら退場すればいいのだ。
アムンゼンの苦闘をボクは知らない。生還するという死闘の中に、スコットよりも劣るものがなにかったとは思えない。奢る勝者であったとも思えない。なのにスコットにロマンを感じる理由に2等賞をもってきたとしたら、この人は学者ではいられまい。
朝日新聞はかくも、である。残念だけれども。
どうしてこんなことになっているんだろう。
2時間目はどうなんだろう。「同盟」というタイトル。ふーん。