姫川温泉瘡の湯

国道沿いにも幟が増えて、看板も整備された様子でどうやら営業も軌道に乗りつつあるらしいと、それでも連休とはいえ空いているだろうと考えたのは間違い。たくさんのクルマがならんで、そこそこ活況を呈している。新しい施設好きの富山ナンバーも何台かあって、いかにも秘湯巡りの高級外車もあったりする。案外、近くの国富からの流れかもしれない。連休らしい光景だ。
手書きで適当に書かれたものも少しずつ体裁よく整備されているものの、どことなく手作り感のとほほ度も高く、字の間違いやぐちゃぐちゃと書いてしまったものなどがそのままになっていて、実にそれらしくコンクリート打ちっ放しの建物に似合わない。なかなかいいじゃないか。
お湯は抜群なのだが、さすがに入浴客が多いのか、湯の汚れが気になった。源泉掛け流しなら、そのままあふれさせてもいいのに、パイプで回収するようになっているためにお湯がうまく入れ替わらない。パイプの上部を上げれば湯面が上がり外にきれいに溢れるのだが、そうしないのは蒸気や床の問題もあるのだろう。それでも、気持ちの良い、しみこみのよいお湯。湯温がやや高いこともあって、激しく温まる。湯量で湯温を調整しているそうだが、今日は気温のせいだろう、若い子は熱がってまともにつかっていない。湯口におじさんたちがいるのでうめるわけにもいかないのだろうが、こういうのにどっぷり浸かるのが人間の生きてきた時間を癒す温泉の力なのよと、心の中でつぶやく。
湯上りのロビーはどっかの家の居間のよう。お茶をご馳走になって、お煎餅をいただきながら、川向こうを2時間に1本の電車が行く。ジオパーク装飾の気動車。けっこう乗り込んでいる人もあって、賑やか。生活路線ではなく、観光路線になっているんだな。生活の足として公共交通がどう生き残れるのだろう。いつもそんなことを考える。今日は、あと2本。6時と9時の電車で終了。
10日に、塩の道を歩くツアーがあるらしい。以前、この里に辿り着いた人々はどんな風景に出会ったのだろう。歩いて確かめてみたい気持ちになった。
帰り、近くの発電所の社宅がいい感じに見えた。この桜、見る人も少ないがそれでも美しく咲く。

隣接する白馬荘は混浴の大浴場、朝日荘は大きな岩がせり出した大浴場。いずれも、瘡の湯とは源泉を異にする名湯。レトロな雰囲気にいつも古いレンズを使ってモノクロで撮影。たまにそっちにも行きたくなった。混浴を彼女が嫌がるんで。

柵口温泉山城屋

体調不良から脱しつつあって、どこか温泉でゆっくりしたいと、少し鄙びた感じの温泉を考えた。できれば、みすぼらしくていいので畳の部屋を借りて、一風呂浴びてからゆっくりとお茶でも飲んで、それからもう一風呂楽しみたい。こういう愉しみはなかなかできない。いや、お金を出せばできるわけだが、出せない。そうまでは、裕福ではない。
それで候補に上げたのは、柵口温泉と来馬温泉。久しぶりに、柵口温泉にして、いつもの温泉センターではなく、手前の温泉郷の山城屋さんに向かうことにした。先週、海釣りで出合った人がその近所でお風呂も悪くないと話していたのだ。
県境から雪模様になり、能生谷に入ると積もるほどに降ってきた。槙という集落の外れに、「ひだまり」という小さな食堂ができていた。農家キッチンとあるので、きっとよってきなえやでやっていた人たちが下におりてきて店を開いたのだろう。ぎっしりいっぱい。それでも、少し待って自然薯のそばと野草の天ぷらをいただく。いい食い物だ。うまいとか、まずいというよりも、この手のものは土地のふるまいだ。それぞれに馳走で心づくしである。思いの外、腹がふくれる。お客さんには年配の人も多く、それでもぎっしりと食べておられる。元気な集落なのだろう。
さらに、能生川を遡る。川は増水。この川の年券が7000円で、日券が2000円と知り、ちょっと驚く。そんなに釣れるのか。あるいは、そういうものなのか。あまり他で釣りをしないのでよくはわからない。釣り池のアピアはまだ冬眠から覚めていない。この地域も、土地のよさを売り物にする場所が増えてきた。何かにすり寄るように自分たちを厚化粧する感じがすっかりなくなって、大切にしてきたものをしっかりと前に押し出すようなやり方が定着している。格好つける必要はない。高度成長で背伸びを繰り返し、世俗的な価値と身の丈に合わないものに身を晒してきた年寄りは無理だが、若い連中はそういうものを平気で受け入れていく。有名リゾートホテルの支配人が「うちはテレビを置いていません」と言い切っていて笑えた。そんなところで戦っているうちに廃れていくよ。若い感性はすでにそんな場所でテレビに明け暮れるようなことはしないし、素晴らしい液晶パネルなど、窓の外の景色や部屋の中の佇まいに比べれば何のアドバンテージもないことをよく知っている。
山城屋はちょうど団体客の受け入れで忙しそうだった。手伝いのおばちゃんたちがまかないの焼きそばを食べていた。ちょうど昼の宴席の準備ができたのだろう。
「お風呂いくらですか?」と聞くと「300円だっけ?」「うん、そのまんまだよ」と返事。消費税のアップなど関係ないらしい。階段を登って複雑に曲がると、それほど大きくない浴場。きれいなお湯は、26度の沸かし湯。しかし、長い間に親しまれた湧出のお湯は侮れない。豪快にポンプアップされた温泉よりはよほど合理的であったりする。実際、この温泉もそのようだ。
上流の権現荘などと同様に、透き通った炭酸水素ナトリウム系のお湯。メタホウ酸がやや高く、肌によさそうである。ややアルカリ性宇奈月温泉によく似ている。全体にぬるめでゆっくりと浸かる。山の湯はそれだけでありがたい。
海まで出て、マリンドリーム能生で、干しガレイとイワシの目刺しを買う。カニもあったが、フラッグシップよりも、そこらに浮かんだ小舟のようなものに価値を見出すのは、自分流である。

みみずくの湯

白馬にないものは温泉と呼ばれた頃が不思議なくらいにそこらに個性的なお湯がある白馬エリア。特に、小日向から引かれた八方温泉はPH11というアルカリ性の温泉でさっぱりとした肌あたりが好まれている。高温で湯量が多いため、どこもかけ流しであることも人気の理由だろう。
里には3箇所のお風呂がある。バスターミナルの中にある第一郷の湯、第3駐車場のすぐ近くの第二郷の湯、そして、塩の道にほど近いみみずくの湯。中でも、車でアクセスしている人にはみみずくの湯の人気が高い。ここの露天風呂はそのまま畑に臨していて、山々を気持ち良く仰ぐことができる。だが、その分、人も多い。この日も4時過ぎに行ったものだから混雑も激しい。
混雑していてもお湯は変わったりはしないので気持ち良さは損なわれないが、苛立つことも出てきて、そこが人間ができていないこともあって、湯上り感に影響する。
大声で叫び走る子ども。子どもは仕方が無い。注意しない親に苛立つ。立ってシャワーを浴びるいい歳のおじさん。股座にシャワーを吹き付けるのはおなじみの仕草だ。書き上げるとキリがない。しかし、それも以前に比べるとよくなってきているし、そういう仕草の人に対して少々軽蔑した空気が流れるのは何かが向上している証拠でもあろう。
観光地のお風呂は少しずつ変化がある。困ったのは、もしかすると、地域の人々が使う場所かも知れない。そこには、遠慮がなく、どこか傍若無人の振る舞いを許容するところがある。常連だらけのスナックのような感じだ。いたたまれなさに恐縮することも度々なのだ。
滑らかで爽やかに透明度の高いお湯をゆっくりと味わって、人を縫うように外に出ると春の日差しが降り注ぐも、実は、気温は1度かそこら。それでも、氷ではなく、水の季節になったかと風が身に食い込まなくなったことを感じていた。
4月からは消費税の関係で100円アップの600円。ということは立ち寄り湯600円時代に突入ということか。そのくらいの価値はあるが、飲み物を控えることになるな、きっと。

宇奈月温泉 延対寺荘

宇奈月温泉で「あいらぶ湯パスポート」を使って、延対寺荘のお風呂に入る。宇奈月温泉きっての老舗旅館だが、現在は、リゾート開発会社の傘下にあるらしい。パスポートを使うといくつかのホテルや旅館のお風呂に500円で入れる。ふだんは宿泊やそこそこの値段でないと入れないこの特典は、4月30日まで。温泉の楽しみを知っていただくにはけっこうな企画で、以前からこれを活用して宇奈月温泉のお風呂は入り尽くした。
今日はどこにしようと、延対寺荘を選んだのは、黒部川に臨しているからだ。風呂から川の様子が見える。解禁になった川の景色は、また、独特にそそる。
ここのお風呂は大きく2箇所に分かれている。後から追加したらしい露天風呂付きの浴室は男女入れ替え。といっても、女性は夜になるのでこの時間帯は男性用。フロントでもそのことを確認される。案内所で聞き耳を立てると、露天風呂はありますか?という声がずいぶんある。確かに気分のいいものだがそうでなければならないというほどにも感じない。
浴室に入るとぷーんと塩素臭が。ここは、確か完全掛け流しに移行したんだと思っていたんだけど、もうひとつのお湯の方だったかな。湯船が大きすぎるのでどうも湯量が足りず塩素剤を使っている模様。露天風呂は季節によっては加温していると書かれている。正直なのはいいとして、豊富な湯量と湯温を誇る宇奈月でも、必要以上に大きな浴槽が仇になっている。
宇奈月温泉のお湯は、8キロメートル上流の黒薙温泉からパイプを使って引いている。源泉域は河原中から湯が吹き出しているような場所で、湯質はすこぶるいい。黒薙温泉で味わうと、濃厚で驚くほどに透明なお湯に感激する。濁り湯が効きそうなのは気分の問題かと、これまでに自分の常識を疑ったくらいだ。流れてくる間に、沸騰に近い湯温が60度に下がる。それでも十分な温度がある。透明度が高いのは温泉の魅力につながりにくく、成分としてはアルカリ性単純泉といういささかインパクトに不足することも宇奈月温泉への不当評価につながっているかもしれない。しかも、お風呂の設計の影響で何がしらかのマイナス要素があるとすればいよいよ残念なところだ。
さっぱりとして肌あたりのよいこのお湯の性質は、実はメタケイ酸の豊富さにあるのではとの考えが出ている。あまり注目されていない成分ではあるものの、巷間美肌の湯と言われるところはこの成分が多い傾向にあり、しかし、科学的なエビデンスがはっきりしないこともあって不当表示まがいと受け取られるのも懸念され、明確なものいいができない様子なのだ。それももったいない。地元の富山県の人でさえ、「宇奈月温泉は引き湯でお湯を沸かしている」などというのを聞いた。そういう部分をアピールできていないということだろう。
小さくてもいい。味わいの深い浴室で、十分にかけ流しの湯を味わうという贅沢があることをこの温泉地は忘れている。贅を尽くすことの方向性がずっと変わっていない様子。そういうところもないわけではない。延楽は延対寺荘に並ぶ有名旅館だが、立ち寄り湯に開放していない。その分、お風呂は相当に気を使っていて大浴場はどことも差別化できないが、ここの露天風呂は絶品というのはこういうものだろうと思わせる。湯船の水位と窓の高さがよく考えられている。こういうこともできるはずなのだ。
浴室の外を猿が歩く。地元ではない方が興奮して僕に告げる。初めて見たという。そうか、猿というのはそれほどに珍しいものなのか。当たり前すぎて気づいていない。僕にしても同じことだ。
当たり前の見直しから新しいものへの気づきがある。何があるのか整理できていないのに、何が必要かはわからない。当たり前のことだ。

スケート選手のエネルギー消費というわけではない

あるスケート選手がテレビに登場する場面で40万キロワットの電力が増加したって話。火力発電所1基分ということだが、火力はすぐに需要に対応できないので大きな水力発電所分くらいかな。黒部川水系の総発電力が100万キロワットなので、そういう目安。
だからどうなのってところだけど、それで原発再稼働しなくちゃフィギュアも見られないよってことじゃあないよね。国民の注目度を電力換算するって意図がよくわからない。
だけどエネルギーということにもう少し敏感でもいいのかなと思う。特に、どれだけ減らしたかよりも時間の推移踏まえたエネルギーの量をうまく見る指標がないのかなと考えることがある。
例えば、太陽電池パネルなどはけっこう早いうちに廃棄されるという話だし、実際、減価償却も含めたエネルギー効率をちゃんと示していないように思える。
そんな指標ぐらい、コマーシャルでやっているでっち上げみたいな数値比較を考えるとすぐにできそうなものだが、どこかにタブーでもあるんじゃないかと疑いたくなる。
じゃあ、スケート見るなよってことじゃないんだな。

デレク・ベイリーの評伝

朝日新聞の書評欄で早稲田大学佐々木敦が取り上げている。

デレク・ベイリー…インプロヴィゼーションの物語

デレク・ベイリー…インプロヴィゼーションの物語

名前を聞くのも久しぶりだが、学生時代の自分に影響を与えた一人には違いない。フリー・インプロビゼーションと名付けたのは彼だそうだが、今でも、形式、様式のような枠組みにじぶんをふぃっとさせることがどうにも気持ちの悪さを感じるのは、それらの影響というわけではなく、自分自身の違和感に都合の良い考え方を示してもらったということだ。
自由ということの厳しさは、芥川の侏儒の言葉に描かれたとおりだが、向き合うことをすべての前提に考えている自分がある。
時々、もうちょっと考えないといけないな。これが名著。手に入れておくのも悪くない。
遙かなる目的地―ケンペルと徳川日本の出会い

遙かなる目的地―ケンペルと徳川日本の出会い

是枝裕和のインタビュー記事

この時間になってようやく朝刊を開く。同世代の是枝裕和のインタビューがおもしろい。時として自分の中に沸き起こる違和感のいくつかをわかりやすく人に伝えられるような言い方をしている。
このところの僕は、違和感、不快感のような喜怒哀楽とは少し違う表情の心の動きを大切にしていて、そういうのを周辺から書き下してもらった心境。
すっきりしたわかりやすい答えを順位に基づいた価値に寄りかかってしまって、自分が大切にしたいものを考えたり表現したりしないことの根本には想像力の欠如がある。文学的情動がやせ細っていく現実がある。